察してちょうだいよ。
【事例】
とある高校。
Aさんはみんなの人気者。特に目立つわけではないけれど何となくいつも周りに人がいる、そんなタイプです。
BさんはAさんととても仲良し。もちろんAさんのことが大好きです。
誰にでも分け隔てなく接し、勿論Bさんにも同じように接し、みんなに愛されるAさん。
そんなAさんに対し、Bさんはだんだん意地悪になっていきます。
話の合間にちょっとした嫌味を言ったり。
さて、どうして?
注)これは、コイバナではありません。
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これは昨日TLで見た事例です(多少はしょったり付け加えてる所もあるのですが)
以下、私なりの解釈。
BさんはAさんに対して憧れのような感情があるんだと思います。そんな人と仲良しである自分が誇らしかったり。
一方で対等でもいたいわけです。だからちょっとしたライバル心のようなものもある。
が、Aさんはそんな複雑な感情を持っていない(ように見える)
みんなに良く接します。Bさんにも「同じように」良く接します。
Aさんの「特別」でいたい。でもそうしてくれない。
Bさんは虚しくなります。一人相撲だし自尊心も傷ついちゃいます。
そこで相手(Aさん)のことを悪く言う。それによって自分はAさんのことを特別とは思っていない、対等、或いは上の位置に立っている。
そんな風にアピールして自尊心を守っているわけです。
でも本当は大好きなんだよね。
実際のTLでは書かれたご本人からの解説もあったので、それを元にしている解釈でもあります。
さて、こうやってくどくどと合ってるかどうかわからないような解釈を並べましたが、本当はもっと簡単に説明することができます。
「構ってちゃん」or「察してくれよ」です。
意地悪言ったりしたりするのも相手にしてくれないからだよ。
本当は大好きなんだから構ってよ。
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一般に自閉傾向のある人は、この「察してくれよ」が苦手であると言われています。
でも日本って察することを美徳とするような文化があるから困っちゃいますね。
シロもそうです。
3歳児ですので、定型の子でもまだまだ難しい所ですが。
それでもやはり「察する」というのは苦手なように感じます。
シロは比較的声掛け(聴覚)でも通じるほうですが、それでも少し持って回ったような言い方をすると途端に通じにくくなります。
時間のかかるこだわり行動に付き合わされたりするとうっかり嫌味の一つでも言いたくなるのですが、のれんに腕押し。
結局回り道せずズバリと言ったほうが手っ取り早いです。
それにしても疲れ切った私の顔を見ても平気、怒りのオーラを出しててもへっちゃら。
察してちょうだいよー(T_T)
最後に。当たり前のことですが、あえて。
形のない感情、言葉に表さない思い。
それを完全に読み解くことが出来ないのは自閉傾向の人たちだけではないのです。
そして推し量る力は定型だけのものじゃないのです。
自戒を込めて。
追記)
「結局当事者はこういった場面に出くわした時、どう振る舞うのがベストなのか」
これ、私にはわかりません。
言うまでもなく、私が当事者でも専門家でもないからです。ただの主婦。
なので、月並みな事しか言えないのですが、もしシロがそういう事で悩んでたら、私なら何て言うかで考えてみました。
感情の交差する場所からはさっさと離れた方が良いです。疲弊するだけです。
もし離れられない状況ならニコニコとかフムフムとか、黙って話を聞いてる風を装えば良いかと。
理解しようとするのが苦にならないたちなら全力を傾けるのも良いですが、しんどくなるくらいならさらっとスルーした方が良いですよね。
と、これはとある発達障害の子を持ついち主婦の私見です(←超予防線)