或る母親が出来上がるまでの話。
今回はちょっと番外編。シロの話は置いといて私の話です。
とある発達障害の子の母親が出来上がる過程を書いてみようかと。
まぁ大したものではないので軽い気持ちで読んでもらえたら。
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「O型っぽいよね」
私は子どもの頃からかなりの回数この言葉を言われてきました。
世間一般でO型というのは「大らかで大雑把で適当」みたいなイメージがあるようですね(血液型占いの是非はまた別として)。
確かに私は大雑把で適当、ちまちました丁寧な作業は苦手、一言で言えばがさつなタイプでした。
(ちなみに私は本当にO型)
変わっていったのは社会人になってからです。
それまでののん気な学生生活とは責任感が大違いです。しかもやりたかった職種でした。
「お金を頂くからには全力で働かなければいけない」
「自分の仕事が終わっても他の人の仕事を手伝うべきだ」
「求められている以上の結果を出さなければいけない」
よく言えば向上心にあふれていてやる気のある職員です。
ただ、私は力の抜き方がわかりませんでした。
一生懸命頑張っても自分より能力が上の人はいるのです。
全力を尽くし続けるしかありませんでした。
そして四年後、ひとつの大きな仕事を終えた私はぷつりと糸が切れました。
燃え尽きたんです。
布団からなかなか出られなくなりました。
気力で何とか仕事には行っていましたが、食事を摂れなくなりました。
自分はダメな人間だと思いました。
ただ、死にたいとばかり思う毎日でした。
元々ストレスで身体を壊すことなどなかった私が過呼吸を繰り返すようになりました。
親に内緒で精神科を受診しました。
実はここからの数年間はあまり覚えていません。
最初の仕事を退職し、以降は休んだり再就職したり。
このまま一人で生きていくのかなと思っていた頃に出会ったのが今の夫でした。
夫は私の暗すぎる泣き言を全部聞いた上で笑い飛ばしました。
そんな深刻に悩むことと違うでー、と言いました。
当時、夫もまたメンタルをやられて仕事を休職していた時でした。
俺はきいろと違ってポジティブなうつやからな。
と何故か威張られました。
ポジティブなうつ。笑いました。笑いながら私もポジティブなうつになろうと思いました。
それから数年のときを経て、一生付き合っていくものだと思っていた私のうつは完治。
そしてポジティブだけが残りました。
やがて結婚し、私は仕事を辞めて妊娠と出産を経験します。
生まれた子どもは数年後自閉症と診断されました。
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息子シロは発達障害です。
喋れないです。
多動があります。
こだわりが強いです。
人への興味が薄いです。
これから先、どのように成長するのか想像がつきません。
もしかしたら一生このままかも知れません。
私はまだ母親歴は短いです。だから甘っちょろい部分もあると思います。
明日落ち込むことがあるかもしれない。でも今日は面白い子だったし可愛かったし良かった。
私たち夫婦の基本スタンスです。ポジティブでのん気すぎるかもですが。
私はもう多分あの沼の中に沈むことはないと思います。
一度知ったらもう充分です。