それは例えば国境のない大陸のような。
ここ最近久しぶりの友人と会う機会が続けざまにありました。
一人は学生時代の同級生、あとは引っ越してしばらく会えていなかったママ友(複数)です。
Twitterでも呟いていたのですが、それを簡単にまとめます。
※ちなみにどちらも子連れで会ったのではありません。
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☆学生時代の友人
シロよりひとつ上の娘とシロよりひとつ下の息子、二人のママ。
自宅にお邪魔させてもらいました。
しばらく学生時代の話にアレコレと花が咲きます。
そして話題は子どものほうに。
事前に発達障害であることはちらりと話しており、どういう感じなのー?とソフトな尋ね方をされたので私もざっくりとシロの特性について話しました。
・言葉が遅れている→男の子はそんなもんだってー!うちも大して喋らないよー!
・多動がある→男の子はそんなもんだってー!うちだってじっとしてないよー!
・こだわりが強い、目が合わないetc→そんな子いっぱいいるってー!気にしすぎー!
・・・何というか、励ましてくれてるのかフォローしてくれてるのか、そういった気遣いは伝わるのです。
何となく釈然としないままシロの話は終わりました。
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☆ママ友たち
支援センターで知り合い、引っ越してなかなか会えなかったママさんたちです。
子どもはシロと同じ年齢の子ばかり。
こちらもしばらくは各々の近況などを話していましたが、やはり次第に子どもの話になっていきます。
ここではシロの発達障害は明言していないのですが、療育の話などもしているのでみんな何となくわかっているような感じ。
盛り上がる宴の中、あるママさんが知り合いのお子さんの話をしました。
ASDであるその子は偏食が強く、食べられるものが特定メーカーの冷凍食品と一部のファストフードしかないとのこと。
ご飯は食べられるけど白米しかダメ。混ぜご飯は勿論、ふりかけも一度かかっているのを見てしまったらもう取り除いても食べられないと。
いわゆる味覚過敏です。
それを聞いた他のママさんたちは、思い思いに意見を話していました。
箇条書きでまとめると、
・そんな食生活では子どもの体に良くない。多少無理してでもきちんとしたものを食べさせるべきだ。そのうちだんだん慣れてくるはず。
・冷食でも良いなんて過敏ではなく鈍感すぎるからなのではないか、こだわりが強いのではなくなさすぎるのではないか。
・親が楽をしてそういうものばかり与えていたからではないのか。
まずびっくりしたのが、過敏やこだわりによる特性も出方によっては全く逆の解釈をされてしまうことがあるのだということ。
そして「食べられるもの」に全く目を向けないこと。
でも生きていくには食べていかないとだめなんだしさ、無理に食べさせて食事が嫌いになっても良くないしさ、まずは食べられるものを食べたほうが良いんじゃないの?
そろそろと言った私の言葉は
「でもそんな食生活じゃ子どもがかわいそうじゃん」
の一言で終わりました。
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まず誤解のないように言っておくと、どちらも楽しかったのです。
殆どは上記以外の話ですから。
ただ、もやもやをしたものを抱えたままであったのも事実です。
だからTwitterでブツクサと言ってたのですが。
もやもやの原因は簡単に言うなら「噛み合わなかったから」です。
私の話したことが話した通りに伝わっている気がしなかったのです。
のれんに腕押し。受け手のいないキャッチボール。
上記の友人やママ友が知らないからではありません。
誰もが知ってて当たり前の話ではないからです。
先日スズコさんが「障害者と健常者の境界線」についてブログ記事をあげておられました。
TLでも多くの方が言及されていました。
線があるから「向こう側」は他人事になってしまうんです。
発達障害はきっと思っているよりうんと身近です。
私はシロのおかげでそれを知ることができました。
縁あって知り合った人にシロのことをわかってほしいと思ってしまうのは私のエゴです。
伝わらなくて落ち込むのがお門違いであることもわかっています。
気にしすぎ、という言葉はよく刺さります。
返す言葉が何もなくなるからです。
出来ればこの言葉で片づけないで頂けると嬉しいです。
育児書やママ雑誌なんかに載ってる理想の育児。
そことはまた全然違う場所で頑張っている親がいたり子がいたりするのです。
これだけでも、ちょっと頭の隅に置いてもらえたら。
私たちは少し助かります。
全ての人に正しい知識が当たり前に浸透するのは一朝一夕の話ではありません。
これから、少しずつでも。
線が薄くなって消えていって隣にいるのが当たり前になればいいなと思います。
ミスター平均値。
ミスター平均値。
これはTV「ロンドンハーツ」の男性芸人が好きな女性有名人を挙げていくコーナー内で、複数の出演者が選ぶ人気女性有名人ばかりを挙げていた千原ジュニアについた呼び名です。
要するにごく一般的、平均的な趣味嗜好の持ち主という感じでしょうか。
息子シロは我が家でミスター平均値と呼ばれています。
とにかく趣味嗜好が王道を外れない。
「きかんしゃトーマス」ならトーマス。
新幹線の中ではN700系。
好きな食べ物は白いご飯とハンバーグとカレー。
おかげで買い物や食事に行ってもシロの好みのものは比較的見つけやすいです。
さらにですね。
シロは九月下旬が誕生日なのですが、これって年度のちょうど真ん中辺りなんですね。
さらにさらに、同月齢の平均身長体重のほぼど真ん中でもあります。
つまり、シロは現在年少組の子供の平均ど真ん中の体格だと言えます。あくまで理論上ですけども。
こんなに平均的な見た目と趣味嗜好なのに自閉症という少数派の脳を持っているんですからおかしなものです。
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少々変わった趣味嗜好でもいいから特性は平均的であって欲しかった。
数字が四ケタ読めなくてもいいから他の子と同じくらい喋って欲しい。
私は正直に言うとシロについて今でも時々そう思ったりすることがあります。
ただこれは「ああだったらよかった、こうだったらよかった」と言っても仕方のない部分だとも思っています。
それならもうちょっとだけ、前向きに考えてみたい。
誤解を招く言い方かもしれませんが、私は育児を面白がりたいという気持ちが常にあります。
楽しみたい、でも良いのですが、もっとこう「ギャハハおもしれー」的な。
これはシロの発達障害がわかる前からそうでした。
わかってからはその思いが強くなりました。
私は定型発達の子を育てたことがありません。
なのでいわゆる「普通の育児」の面白さは人より知らないのではないかと思います。
その分、知らない人が多いであろう「平均外の育児」の面白さを見つけたい。
シロのミスター平均値という個性。
これは平均外の育児で見つけたいびつな平均値。
私はそれがとても面白いなーと思うし興味深い。
そしてもっともっと知りたいと思うのです、シロのことを。
或る母親が出来上がるまでの話。
今回はちょっと番外編。シロの話は置いといて私の話です。
とある発達障害の子の母親が出来上がる過程を書いてみようかと。
まぁ大したものではないので軽い気持ちで読んでもらえたら。
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「O型っぽいよね」
私は子どもの頃からかなりの回数この言葉を言われてきました。
世間一般でO型というのは「大らかで大雑把で適当」みたいなイメージがあるようですね(血液型占いの是非はまた別として)。
確かに私は大雑把で適当、ちまちました丁寧な作業は苦手、一言で言えばがさつなタイプでした。
(ちなみに私は本当にO型)
変わっていったのは社会人になってからです。
それまでののん気な学生生活とは責任感が大違いです。しかもやりたかった職種でした。
「お金を頂くからには全力で働かなければいけない」
「自分の仕事が終わっても他の人の仕事を手伝うべきだ」
「求められている以上の結果を出さなければいけない」
よく言えば向上心にあふれていてやる気のある職員です。
ただ、私は力の抜き方がわかりませんでした。
一生懸命頑張っても自分より能力が上の人はいるのです。
全力を尽くし続けるしかありませんでした。
そして四年後、ひとつの大きな仕事を終えた私はぷつりと糸が切れました。
燃え尽きたんです。
布団からなかなか出られなくなりました。
気力で何とか仕事には行っていましたが、食事を摂れなくなりました。
自分はダメな人間だと思いました。
ただ、死にたいとばかり思う毎日でした。
元々ストレスで身体を壊すことなどなかった私が過呼吸を繰り返すようになりました。
親に内緒で精神科を受診しました。
実はここからの数年間はあまり覚えていません。
最初の仕事を退職し、以降は休んだり再就職したり。
このまま一人で生きていくのかなと思っていた頃に出会ったのが今の夫でした。
夫は私の暗すぎる泣き言を全部聞いた上で笑い飛ばしました。
そんな深刻に悩むことと違うでー、と言いました。
当時、夫もまたメンタルをやられて仕事を休職していた時でした。
俺はきいろと違ってポジティブなうつやからな。
と何故か威張られました。
ポジティブなうつ。笑いました。笑いながら私もポジティブなうつになろうと思いました。
それから数年のときを経て、一生付き合っていくものだと思っていた私のうつは完治。
そしてポジティブだけが残りました。
やがて結婚し、私は仕事を辞めて妊娠と出産を経験します。
生まれた子どもは数年後自閉症と診断されました。
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息子シロは発達障害です。
喋れないです。
多動があります。
こだわりが強いです。
人への興味が薄いです。
これから先、どのように成長するのか想像がつきません。
もしかしたら一生このままかも知れません。
私はまだ母親歴は短いです。だから甘っちょろい部分もあると思います。
明日落ち込むことがあるかもしれない。でも今日は面白い子だったし可愛かったし良かった。
私たち夫婦の基本スタンスです。ポジティブでのん気すぎるかもですが。
私はもう多分あの沼の中に沈むことはないと思います。
一度知ったらもう充分です。
不器用な子。ー発達性協調運動障害ー
突然ですがシロを妊娠中の話。
私はつわりが軽いほうで、一番きつい時期でも「何かしんどいな・・・」くらいでした。
が、出産が近付くにつれて気持ち悪さに悩まされることになります。
原因は、胎動。
シロはとにかくよく蹴りました。よく動きました。
シロが胎内でドタバタすることで私の内臓も一緒にゆらゆら。胃もゆさゆさ。
四六時中船に乗ってるみたいな感覚でした。
なので当時は夫と
「この子は足が丈夫な子かもね。スポーツの得意な子になったりしてー」
なんて冗談半分で話していました。
今回はそれから約三年半後、現在のシロの運動能力についてのお話です。
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以前に書いたことと内容が若干重複するかもですが。
シロは身体の発達もゆっくりな方でした。
とはいえ問題視するほどでもなく、やや遅めくらいです。
歩き出すまではとにかくオデブちゃんだったので(8ヶ月で10kg超えてました)身体が重いのかなとも思っていました。
さて、そんなシロも1歳2ヶ月を過ぎるとようやく歩き始め。
そして歩き始めたと思ったら走り始めていました。
昔からシロを知っている人は
「シロくんがよちよち歩きしているのを見た記憶がない。気付いたら走ってた」
と言います。
私もそうです(笑)
とにかくそんな感じだったので、周囲の人も私も「シロは運動神経が良い」ものだと思っていいました。
おかしいなと思い始めたのは1歳半前後だったと思います。
当時近所の支援センターで行われていたリトミックや親子教室に時々参加していました。
他の動作も何かとぎこちなかったのですが、何より一人だけジャンプが出来ないのが気になりました。
家でちょっと練習してみたのですが出来ません。そもそもやり方がわかっていないような感じもします。
人並み以上に走り回っているから運動面に疑問を感じてなかったけれど、もしかして走る以外のことは苦手なのではないか。
そう思いながらシロを観察してみると、今までとは違う姿が見えてきました。
・ジャンプが出来ない→つま先が地面から離れない。
・片足を上げることも出来ない。
・ボールを蹴ることが出来ない。
・ブランコに乗れない→腰がぐらぐらして座っていられない。ましてや揺らせない。
・三輪車がこげない。
・シャボン玉が吹けない→意識して息を吐き出すことが出来ない。
そこにいたのは、とんでもなく不器用な子どもでした。
その後、発達検査ではやはり運動面の弱さを指摘されました。
さらに後、クリニックではこの不器用さに名前が付きます。
発達性協調運動障害。
筋肉や神経、あるいは視覚や聴覚などに異常がないにも関わらず運動面に困難を呈する障害です。
手先が不器用で協調運動や全身運動がぎこちなかったり。
なるほど確かにその通りです。
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上記に挙げた出来ないこと、今も出来ません。
が、全く進歩していないわけではありません。
上記を見てもわかりますが、シロは身体が不安定になることが苦手な傾向があります。
ジャンプや片足、ブランコの他にも足場が不安定なところをよじのぼる、なんてこともかなり嫌がります。
それが最近は室内用ジャングルジム程度のものなら自力で上までのぼれるようになりました。
成長しているのもあるし、療育や作業療法によるところも恐らくあります。
手先の不器用さについては書いていませんでしたが、実はこれは気になるほどではありません。定型の子と大差ないのではないかと思います。
これは喋れない&数字好きのシロは数を表すのに割と低月齢の頃から指折りを多用していたことが大きいのではないかなと私は勝手に思っているのですが、違うかもしれません。
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この話をするとママ友などには未だに驚かれます。
「あんなに動き回って走るのも早いのに?」
「いつも走り回ってるしジャンプくらいしてるイメージだった」
発達性協調運動障害は、ADHDやASDと合併して見られることも多いそうです。
休みなく動き回っている子も実はひどく不器用でぎこちない一面があるのかもしれません。
走り回ってる=運動能力が高い、とは限らないんだよという、そんなお話でした。
ちいさな当事者と暮らす母親から。#世界自閉症啓発デー
【募集!】4月2日の世界自閉症啓発デーに向けて啓発記事をコラボしませんか? - うちの子流~発達障害と生きる
4月2日は世界自閉症啓発デー。これに先駆けてなないおさんが上記のようなコラボイベントを企画されました。
私もまだまだ無知な部分が多く、果たしてどこまで主旨に沿った記事を書けるのか謎ですが、いち自閉症児の母親目線からお伝え出来ることを思い付くままに書いていこうと思います。
過去記事と内容が重なる部分もあるかと思いますが、ご了承下さい。
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最初に軽く自己&家族紹介。
私は三十路の主婦です。
家族は夫と息子がひとりずつ。
息子シロは現在3歳半。3歳になってすぐに自閉症スペクトラム(ASD)の診断を受けています。
次にASDとは、を簡潔に。
大体3歳までに
①社会性②コミュニケーション③想像力
この3つに困難が認められた場合ASDと診断されます。俗に三つ組と言われるものです。
それぞれを少し具体的に。
①基本的に人に対する興味が薄い。一人遊びを好む傾向がある。目線が合わない。その他、逆に人との距離感が近すぎる、誰彼かまわず話しかけたりするパターンもあります。
②言葉の発達の遅れ。指差しよりもクレーンを多用、もここに入るのでしょうか。その他エコラリアなど。
③不確定要素、臨機応変といったことに弱い。想定外の事が起きるとパニックになったり、同じ道順や手順を繰り返したがるこだわりが強い。
その他よくみられる特性としては、
・感覚過敏(触覚、嗅覚、聴覚など)
・多動
・睡眠障害
等々。
ものすごくざっくりですが、ここまでは一般論です。
ネットや本に書いてあることを簡略化しただけです。
さて、本題。
ASDを含む発達障害(ADHD、LD等)は決して珍しいものではありません。
程度によっては学校で皆さんと机を並べて勉強していたり、会社の隣のデスクでパソコンを叩いてたりしているかも知れません。
そのくらいの割合では存在しています。
皆さんは今までも見たことあるでしょう。
そしてこれからも目にするでしょう。
例えば。
道端で号泣しながらひっくり返って大暴れして手がつけられない子を。
ショッピングセンターでエスカレーターから離れない子を。
やたら効率の悪い遠回りなルートで歩いている子を。
突然走り出す子と必死で追いかける親を。
違うかも知れません。
でも、もしかしたら「そう」なのかも知れません。
私はシロと言うASD特性を持つ幼児の母親ですので、その目線で書きます。
もしこのような場面を目にしたら。
私たちは誰かに何かをして欲しいわけではないのです。
パニックを止めて欲しいんじゃない。
エスカレーターから引き離して欲しいんじゃない。
ましてや叱って欲しいわけじゃない。
(ちなみに上記の例は殆どシロのことです)
ただ、知っていて欲しいのです。
こういう特性を持った子がいるということを。
躾の問題でも単なるワガママでもない、生まれ持ったものであるということを。
決して特別な存在ではない、割と身近にいるのだということを。
出来ることなら奇異の視線を投げないで下さい。
周囲が知っていること。
それだけでもうんと楽になるのです。
私たちも、そしてきっと当事者も。
でももし、親の手を振り切って車道に飛び出そうと、なんてことがあったら止めて頂けるとありがたいです。
勿論、私たちもそのようなことは起こらないように最大限の努力はします。
発達障害は免罪符ではないからです。
何だかあまりまとまらない文章になってしまって申し訳ありません。
4月2日に各地で灯る青い光。
過ぎてからも心の片隅に、うっすらとでも灯し続けてもらえたら嬉しく思います。
数の活用。
Twitterにも再々書いているのですが、シロは数字がとても好きです。
本を読んだらページ数、DVDをつければ再生時間のカウンター(って名前でよいのかしら)、買い物に行けば値札、外を歩けば車のナンバープレートや制限速度の標識。
とにかく常に数字を意識して生活しています。
1歳を過ぎた辺りからのカレンダーへの執着に始まり、今ではさすがにまだ難しい計算などは無理ですが、読むだけなら4ケタ、時計の60進法もおおむね理解している様子。
もちろん読むとはいってもシロは喋れませんので、指折りで数字を表現するか、例えば「2156はどれ?」などときくと指差すとか、そのような伝達の仕方になるのですが。
これもシロの特性のひとつです。
かわいそう
「お説教おばさん」という種類の方がいます。
道端で子どもに手を焼いていたりする母親に自分の育児論を説こうとする謎のおばさんです。
おばさんと銘打っていますが、別におばさんだけとは限りません。
私の知る限りではおばさんやおばあさんに分類される方が多いですが、おじさんやおじいさん、又はお姉さんやお兄さんもゼロではないでしょう。
この方々の武器、意外と強いです。
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シロはADHDではありません。が、自閉の特性としての多動はあります。
視野も狭いので、気になるものを発見すると周りが全く見えなくなり、目標物に向かって一直線。
車や通行人など目に入っていないので大変危険です。
なので、外では必ず手を繋いでいます。
幸いシロは手を繋ぐのを嫌がるタイプではないのですんなり繋がせてくれるのですが、気になるものを見つけると、何とかして手を振りほどこうとします。
一人で歩くと危ない場所だから手を繋いでるわけで、そこで振りほどこうとしたら当然振りほどかれまいとしますよね。
すると、言われるんです。
「そんなに嫌がってるんだから、離してあげたらいいじゃない。かわいそうに」
こちらの本心としては
「助言ありがとうございます。どうぞすっこんでてください」
です。が、勿論そんなこと言えないので曖昧な笑顔でその場を去るわけです。
この類のことは、例えば路上でパニックを起こしてひっくり返って泣いてる時なんかにも言われます。
「どうしたのー?よしよしかわいそうにー」
これはシロに話しかけてる風で(当然シロの耳には入っていませんが)私に「何をして泣かせたの」という無言の圧力をかけているのを感じます。
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先日twitterにも書いたのですが、かわいそうって言葉は案外刺さります。
そういうことを言われてる場面って大体こっちもいっぱいいっぱいのときなので言われてすぐはあまり感じないのですが、帰宅して落ち着いて思い直すと痛いです。
自分は子どもにかわいそうなことをしてるのかな。
かわいそうなことをする自分は親失格なのではないか。
私はあまりネガティブなほうではないのですがメンタルが強くないのか、結構ずーんと落ち込んでしまいます。
子どもを自由に動けるようにしないのは「かわいそう」に見えるのかもしれません。
(twitterで話題になっているハーネスに関してもそうですよね。)
でも自由の前に子どもの命を守らなくてはいけないのです、全力で。
尺度は人それぞれです。
子どもに手を焼いている(ように見える)人に自分のものさしで物申したくなる方。
例えば子どもがハーネスをつけていたり。
繋いだ手をなかなか離してもらえなかったり。
道端でひっくり返って号泣していたり。
発達障害だけではないと思います。
が、それぞれの背景があるのかもしれない。自分の尺度外の事情があるのかもしれない。
と、一旦立ち止まって頂けたらうれしいです。
勿論、明らかに社会のルールに反していたり迷惑をかけているのなら、はっきり言うのも大事なのですよ。
そういえば上記手を振りほどくのくだりで強く手を繋ぐことに関する意見もあったのですが(ハーネス使えばとか)シロはそこまで強い衝動性があるわけではなく、少し振りほどこうともがいても
「じゃあ○○(目標物)まで一緒に手を繋いでいこう」
と言えば比較的聞いてくれたのです。
あと買い物中はカートに乗ってくれるので、そこまでハーネスの必要性を感じなかったのです、シロの場合。
*******
ところで全然話は変わるのですが。そして今更なのですが。
このブログは「発達障害の幼児がいる定型発達の母親の目線」で書いています。
(私が定型か否か、は自己判断ですが)
大体の記事が「発達障害のお子さんがいる親」に向けてになっており、それ以外の方はもしかしたらあまりぴんとこないかもしれませんが。ご了承ください。