情報の選り分け
自分の子が(或いは自分が)発達障害かもしれない。
でも発達障害って聞いたことあるし何となく意味はわかるけど、具体的にどういうものなの?
そう思ったとき、どうしますか?
恐らく大多数の方は「調べる」と思います。
そして調べる人の中の更に大多数は、手段として一度はインターネットを利用されたことがあるのではないでしょうか。
インターネット、便利ですよね。
スマホやiPadの登場で、ますます身近なものになったような気がします。
情報量も膨大です。
だから私たちは膨大な中から必要なものを検索にかけたりしてピックアップしていきます。
さて、そうして得た情報は全部本当に必要でしょうか。
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シロは一歳半健診でひっかかり、市の発達相談に通うようになりました。
健診でひっかかれば、そりゃあ不安になりますよね。
発達が遅いほうだとは思っていたけど、もしかして本当に発達障害なのかもしれない。
私は以前障害者通所施設で働いてました。
パート勤務ではありましたが、それでも発達障害はどういうものかくらいの知識は当然ありました。
ですが、施設の利用者はほぼ小学生~成人でした。
乳幼児の発達障害の知識は乏しい、というか殆どなかったのです。
だから調べました。
当時はまだガラケーだったので、PCを駆使して検索しまくりました。
そして、混乱しました。
結局いくら調べても「シロと似たような人」はたくさんいるけど「シロ」がいるわけではないのです。当たり前です。
似たような特性を持つ子の事例を見ます。
不安が増長します。
ほんの少し、シロには見られない特性の記述を発見します。
そこにすがります。シロにはそういうのはないから大丈夫だ、と。
でも不安はまたじわじわ襲ってきます。
で、また検索地獄に陥ってしまう。
↑これ、皆さんに当てはまることとは思わないですけど、私だけの行動でもないような気がするんですよね。
私はこの負のループで一時期寝不足と精神的疲労になってボロボロだったのですが、個人的にはダメージの割に得られたものが少なかったです。
結局私は、仮にシロが発達障害の診断が出ても受け止められるだけの自信がつくまで発達障害に関する一切の検索をやめました。
PCで例えば「発達障害」とか「自閉症」とかで検索をかけると、その後全然関係ないサイトを見てても発達障害に関する広告が出たりしますよね。
私はいっときその広告を見るのも苦痛でした。
再び検索できるようになった頃はもう平気でしたが。
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インターネットの世界は広大です。
自分が得た情報と真逆の意見もまた、同じネットの世界に転がっています。
どれを信じるかはそれぞれです。
大事なのは、切り捨てる勇気だと思います。
ネットの全てを鵜呑みにしてたら恐らく矛盾がたくさん生まれてしまいます。
自分の中で違和感を感じるものはさらっと流すことも必要じゃないかなと。(例えばこのブログとか(笑))
ちなみに私のネット情報の取捨選択の基準は納得できる根拠や理由が明記されているかどうかと言うところで、逆に感情論と情報をはき違えてるなと感じるものはあまり見ません。というか、自分の中に残りません。
でも、勿論ブログでもtwitterでも感情を綴るのは全然悪いこととは思わないですよ。
特に自分と同じように発達障害のお子さんがいらっしゃる方の呟きは大いに共感できたりするので好きです。
感情=情報(一般論)みたいなのはあまり好きではないですが、感情の中に情報が入ってるのは大丈夫なのです。
うーん、わかりにくいですかね・・・。スミマセン。
まぁ今のは私の話でしたが、情報の選り分け方に正解はないと思います。
お子さんのことが気になって色々調べてしまう、でももしそれでしんどくなってしまうなら、知ることを一旦お休みしてみましょう。
調べるのは、もう大丈夫と思えるようになってからでも遅くはないのです。
こだわりの線引き
シロは割と自閉の特性がわかりやすく表に出ているタイプです。
まず、言葉が遅い。目線が合わない。声掛けへの反応に乏しい。
あと厳密には自閉のみの特性ではないですが、逆さバイバイやクレーンなんかも未だ健在です。
そして今、ちょっと強くなってきて周りが辟易しているのが「こだわり」です。
今回はシロのこだわりについて書こうと思います。
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シロは乳児の頃から物の位置などに敏感でした。
いつもと違う場所におもちゃを片付けたりすると嫌がるんですね。
その頃は「几帳面な子だな」くらいにしか思っていませんでした。
几帳面くらいで済めばかわいいもんです。が、大きくなるにつれてそれはマイルールに変わっていきました。
夕食のとき、夫がシロに食事用エプロンを着けると怒ります。
それはママの仕事だと。
私がDVDの操作をしようとすると怒ります。
それはパパの仕事だと。
どうしようもないときはあります。
私が家事で手が離せない状況かもしれない。
夫が職場の飲み会で不在かもしれない。
それはシロにとって許されないことなのです。
全く融通がききません。
自分の作ったルールに自分が一番身動き取れなくなっていました。
私も夫も振り回されたシロのこだわり。
現在はどうなったか。
上記のようなことはほぼありません。
年月とともに何となくなくなっていきました。
では今はこだわりなく過ごしているか。ノーです。
こだわりの矛先が変わっただけです。
ほぼ毎日、私とシロは近所のスーパーへ買い物に行きます。
スーパーはこだわりの宝庫です。
まず自動ドア。シロは完全に閉まった状態から自分で開けて入りたいのです。
だから前に誰かが通ってまだ開きっぱなしになってたりすると、閉じるまで待たなければいけません。
閉じきるまでに別の人が通って再び開いたりしたら、待ち時間延長です。
そうこうしてようやくお店に入れたら、シロはカートに乗ります。
そして私にルートをあれこれ指示。目の前のお肉を買うのに大きく迂回、なんてこともざらです。
お会計が終わるとカートから降り、再び店内へ。
今度は値札をじっくり観察(シロは数字が大好きです)
同じ値段のものを発見したら、それが例え離れた売り場のものでもいちいち見に行って確認。
ただ夕飯のおかずを買うだけなのに、いつまで経っても帰れません。
発達障害でそれぞれのこだわりを持っていらっしゃるお子さんも多いと思います(大人もですが)。
一人で勝手にこだわる分には良いですが、巻き込まれるものだと大変ですよね。
止めると混乱するしますます執着するし。
どこまでやらせても良いのか。どこからやめさせたら良いのか。
その線引きってわからないですよね。私も未だに正解がわかりません。
個人的には、それぞれのご家庭で決めても良いんじゃないかなと思います。
ここからはダメだというラインを作ったら、接する人みんな統一すること。
ラインを引いた理由を本人に納得させること。
我慢させた行為以外で思いを満たすことが出来るようにすること。
これを意識すれば、お子さんの混乱も少しは軽減される、かもしれません。
ちなみにシロの場合。
私は他人に著しく迷惑をかける行為でなければ大体オッケーにしています。
これは言い換えれば私が多少迷惑をこうむる分には構わない、ということです。
さっきのスーパーなら、自動ドアが閉まるのを待つとかルートを勝手に決めるとかは、それ自体はお店に別に迷惑をかけてません。
ただドアから少し離れて二人で立ってたり、効率悪く買い物をしてるだけです。
私がめんどくさいなーとか恥ずかしいなーと思うだけで。
禁止してるのは、レジの中に入ろうとする行為。(店員さんがいる側)
あくまで店員さんの場所であって、客が入る場所ではありません。
泣いて怒りますが、これは夫婦で統一して制止しています。
ダメなものはダメ。
その代わりダメじゃないことは納得できるまで付き合ってあげる。
とりあえず今の私たちのスタンスです。
今までの傾向を見ると、恐らくスーパーのブームもそのうち終わります。
その後何が来るんだろう。
そしてどんどん大きくなってくる我が子に、いったいいつまでどこまで付き合ってあげられるんだろう。
いつかシロがこだわりとうまく付き合うことが出来るように、私たちもまた、一緒に探る日々なのです。
察してちょうだいよ。
【事例】
とある高校。
Aさんはみんなの人気者。特に目立つわけではないけれど何となくいつも周りに人がいる、そんなタイプです。
BさんはAさんととても仲良し。もちろんAさんのことが大好きです。
誰にでも分け隔てなく接し、勿論Bさんにも同じように接し、みんなに愛されるAさん。
そんなAさんに対し、Bさんはだんだん意地悪になっていきます。
話の合間にちょっとした嫌味を言ったり。
さて、どうして?
注)これは、コイバナではありません。
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これは昨日TLで見た事例です(多少はしょったり付け加えてる所もあるのですが)
以下、私なりの解釈。
BさんはAさんに対して憧れのような感情があるんだと思います。そんな人と仲良しである自分が誇らしかったり。
一方で対等でもいたいわけです。だからちょっとしたライバル心のようなものもある。
が、Aさんはそんな複雑な感情を持っていない(ように見える)
みんなに良く接します。Bさんにも「同じように」良く接します。
Aさんの「特別」でいたい。でもそうしてくれない。
Bさんは虚しくなります。一人相撲だし自尊心も傷ついちゃいます。
そこで相手(Aさん)のことを悪く言う。それによって自分はAさんのことを特別とは思っていない、対等、或いは上の位置に立っている。
そんな風にアピールして自尊心を守っているわけです。
でも本当は大好きなんだよね。
実際のTLでは書かれたご本人からの解説もあったので、それを元にしている解釈でもあります。
さて、こうやってくどくどと合ってるかどうかわからないような解釈を並べましたが、本当はもっと簡単に説明することができます。
「構ってちゃん」or「察してくれよ」です。
意地悪言ったりしたりするのも相手にしてくれないからだよ。
本当は大好きなんだから構ってよ。
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一般に自閉傾向のある人は、この「察してくれよ」が苦手であると言われています。
でも日本って察することを美徳とするような文化があるから困っちゃいますね。
シロもそうです。
3歳児ですので、定型の子でもまだまだ難しい所ですが。
それでもやはり「察する」というのは苦手なように感じます。
シロは比較的声掛け(聴覚)でも通じるほうですが、それでも少し持って回ったような言い方をすると途端に通じにくくなります。
時間のかかるこだわり行動に付き合わされたりするとうっかり嫌味の一つでも言いたくなるのですが、のれんに腕押し。
結局回り道せずズバリと言ったほうが手っ取り早いです。
それにしても疲れ切った私の顔を見ても平気、怒りのオーラを出しててもへっちゃら。
察してちょうだいよー(T_T)
最後に。当たり前のことですが、あえて。
形のない感情、言葉に表さない思い。
それを完全に読み解くことが出来ないのは自閉傾向の人たちだけではないのです。
そして推し量る力は定型だけのものじゃないのです。
自戒を込めて。
追記)
「結局当事者はこういった場面に出くわした時、どう振る舞うのがベストなのか」
これ、私にはわかりません。
言うまでもなく、私が当事者でも専門家でもないからです。ただの主婦。
なので、月並みな事しか言えないのですが、もしシロがそういう事で悩んでたら、私なら何て言うかで考えてみました。
感情の交差する場所からはさっさと離れた方が良いです。疲弊するだけです。
もし離れられない状況ならニコニコとかフムフムとか、黙って話を聞いてる風を装えば良いかと。
理解しようとするのが苦にならないたちなら全力を傾けるのも良いですが、しんどくなるくらいならさらっとスルーした方が良いですよね。
と、これはとある発達障害の子を持ついち主婦の私見です(←超予防線)
それでもやっぱり比べちゃう。
少し前にTwitterで「同月齢のママ友は厄介なもので、一人目だとどうしても子ども同士を比べてしまう。それで落ち込む場合もある」といった内容のツイを見かけました。
同月齢や近い月齢のお子さんと我が子の成長具合を比べてしまうのは、一度は経験している方が多いと思います。
私もものすごく比べていました。口では気にしていないとか言いつつも。
そこで今回は「比べてしまう」お話です。
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シロが三ヶ月になった辺りだったでしょうか、私はひょんなことから一人の女性と知り合いになりました。
その女性のお子さんは女の子。シロと同じ誕生日です。
ついでに言えば女性と私の年齢も同じで、第一子というのも同じでした。
出産を終えてまだ三ヶ月。私にはいわゆるママ友というのは一人もいませんでした。
相手の女性も私と似たような境遇で、私たちはすぐに仲良くなりました。
歩いていけるほどの近所でもないのですが同じ市内に住んでいたので、ひとつきかふたつきに一度くらい、子連れでランチしたり子ども服を見に行ったり。
離乳食の進み具合とかどんな遊びが好きとか寝返りができたお座りできたとか、同月齢の子を持つ母親同士ならではの会話は楽しいものでした。
会話がかみ合わなくなってきたのは、一歳半を過ぎた辺りからです。
シロの発達の遅れ(特に言葉)が気になってきたころでした。
例え数日でも相手の子が早く生まれていたら自分の中で何とか言い訳をひねりだしてたのかもしれません。
が、全く同じ誕生日です。
男女の差を言い訳にしながらも、心の中では猛烈に比べていました。
何であの子に出来ることがシロには出来ないのだろうと。
何で喋らないんだろう何で指差ししないんだろう何でバイバイが逆さなんだろう。
勝手に比べて勝手に苦しんでいた時期です。
二歳を過ぎたころには差は歴然でした。
例えば公園に一緒に行っても、私はシロから目が離せません。勿論物理的な距離も取れません。
いつ敷地外に飛び出すかわからないし、走るのは好きだけどブランコにも乗れないジャンプも出来ない運動能力。遊具からも落ちるかもしれません。
そして他の子とのトラブルも充分考えられます。
女の子の方はもう会話もスムーズ。母親が「運動神経が良くないのよねー」などと言っていますが遊具から落ちそうな不安定さもないし、ましてや敷地外になど出て行く気配もありません。
シロに付きっ切りの私を尻目に、その女性は離れたベンチで一緒に来たお友達とお喋りに花を咲かせていました。
それを見たとき、私の「比べちゃう心」はスーッと消えていきました。
何でしょう、うまく言えないのですが、そもそも立ってる場所が違うんじゃないかなと。
このころは既にシロの発達障害を相当疑っていた状態だったので、余計に比べる意味を見出せなくなってしまったのかも知れません。
とにかく、そういう風にして私の比べちゃう心はなくなりました。
一番気にしていた言葉の発達はまだ少し他の子を意識していたのですが、すぐにそれもなくなりました。
シロと月齢の変わらない子でシロと比較したくなるような同程度の発語レベルの子が周りにいなくなったからです。
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我が子の成長が他の子と比べて遅れてないかとか心配になりますよね。
「みんなちがってみんないい」という言葉がありますが、みんなと違ってると気になってしまうものです。
このブログを読んで下さっている方は、発達障害(又はグレー)のお子さんをお持ちの方が多いのではないかと思います。
定型のお子さんと比べることは、全く意味がないです。
そして、発達障害のお子さん同士比べるのも全く意味がないです。
比べることで得られる優越感は脆く、劣等感は根強く残ります。
広い視野は大事です。周りに目を向けることは必要です。
周りを心に留めるのは、さらりとで良いんです。旅先の綺麗な風景くらい。
周りの子が出来る10のことで落ち込むより我が子が出来た1のことを喜ぶ方が、ちょっと気持ちが良いと思いますよ。
それでも、それでもやっぱり比べたくなっちゃうんだけれど。
療育手帳あれこれ。
本当は別の話題で記事を書くつもりだったのですが昨日twitterで出た手帳の話が興味深かったので、今回は手帳の話です。
手帳には色々種類がありますが、シロが取得しているのは療育手帳のみです。
なので、療育手帳のみの話になります。
また、これはあくまでシロの場合のことなので、お住まいの地域によってもしかしたら差異が出てくるかもしれません、というのを最初にことわっておきます。
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前にも書きましたが、シロが発達検査を受けたのは二歳半の時です。
事前にケースワーカーさんから「検査の結果によっては療育手帳を取得することも出来る」と聞いていました。ただし、取得は別に強制ではないとも。
私は療育手帳交付の基準というものがよくわかっておらず、(今もはっきりわかっているわけではないですが)それで何となく手帳のことは忘れていました。
そして発達検査を受けた後、療育手帳の対象になる旨を告げられます。
検査官から言われたのは
・年齢相応のところもあるが、トータルで見ると発達は遅れている。
・自閉症かどうかは今はなんとも言えない。診断はもうちょっと大きくなって集団生活を経験してからでも良いだろう。
・今手帳を取得しても後々発達が追いつけば無くなる場合もある
と、大体このようなことでした。
(ちなみに後に検査結果を書面でもらったところ、「自閉症スペクトラムの疑い」と明記されていました。やっぱり疑いあったんじゃーんと思いました)
さて、手帳が取得できるといわれたものの、私は少し悩みました。
「子どもに障害者のレッテルを貼ってしまうのではないか」「もし仮に発達が追いついて手帳がなくなったとき、手帳があった過去に本人が傷つくのではないか」
TLにも似たような声が挙がっていましたが、私もそういったことが頭をよぎったのです。
そして夜、帰宅した夫に手帳が取れるんだけどどうしようか、と話したところ
「取ったらいいじゃない。そこは全然迷うところじゃないだろう」
と即答。
・手帳取得によるデメリットが思いつかない。でもメリットはある。
・別に手帳を持ってるよーと皆に見せびらかして歩くわけじゃない。言わなければわからないこと。
結局夫のこの言葉に背中を押され、数日後には窓口に出向いて申請をしました。
その後、何かの折に手帳を取ったことを話すと
「まだこれからどうなるかわからないのに」とか
「もう取ったの?躊躇しなかったの?」とか言われたのですが、
これからどうなるかわからないから二年ごとに更新があるわけで、もう取れるから取ったというだけの話です。(躊躇は上記の通り多少ありましたが)
シロの手帳取得までの経緯はこんな感じです。
ちなみにこの時点ではまだ診断はついてなかったので、手帳の理由を聞かれると「発達遅滞」というちょっと曖昧な説明をしていました。
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メリットは主に金銭的なことですね。
公営施設の半額または全額免除や税金の控除など。
電車はシロはまだ三歳なので元々無料ですが、付き添いも一名無料になります(交通機関による)
この辺りもお住まいの市町村で変わってくるものもあるかと思います。
あと判定によっても変わってきます。
(特に詳しく調べたりしていないので、不備があったらごめんなさい)
シロが今のところ直接受けているメリットはこのくらいでしょうか。
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手帳の取得に関しては、それぞれのご家庭の考え方もありますので私から取れ取れと積極的には言えません。
ただ、うちに限って言えば取らなければ良かったというような場面は今のところありません。
シロは療育手帳=電車に乗ったりどこか遊べるところに入れる、と思っているフシがあるので、お出かけのときは手帳を持つ癖がついています。
今回は療育手帳のお話をしましたが、それとは遠からずな立ち位置の精神障害者保健福祉手帳について、ふみ吉さんが私よりもはるかにわかりやすく上手にまとめられています。
これを読めば私の記事はいらないかもしれない・・・。
コミュニケーションツール③写真&まとめ。
コミュニケーションツールとしては先の二記事にある指差し、ハンドサイン、知育玩具が殆どの割合を占めています。
最後はあまり活用していないツール、写真です。
これは知育玩具の登場までは割と活用していたのですが。
使わなくなった理由としては
・知育玩具でまかなえるものが多かった。
・ポケットアルバムに収納して伝えたい写真を指差せるようにしたものの、実際は使うたびに写真をアルバムから取り出す→取り出したら元に戻さない、のため写真がぐちゃぐちゃ。
・・・というのが挙げられると思います。
とはいえ他のツールでは表現しにくい固有の名前(○○スーパー、××児童館、△△公園など)を伝達するには一番手っ取り早いので完全に使わないというわけではありません。
またこれに限って言えば、私→シロへの伝達にも使っています。××児童館に行くよ、と言うよりも児童館の写真を見せて声をかけたほうがわかりやすいようです。
聴覚と視覚、両方からのアプローチという感じでしょうか。
ただ、やはり写真の劣化が早すぎるので、アルバムに入れるよりはラミネート加工をして端っこに穴を開けて単語帳みたいにリングでまとめると良いかなーとか何となく考えてはいるのですが(確か「光とともに」でやってたような・・・)、なかなか着手できてません(^^;
あとはPECS(絵カード交換式コミュニケーションシステム)も少し考えているのですがこちらはまだ、保留(という名の着手できてないだけ状態・・・)です。
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ここから私見。
こういった補助具を使用すると逆にますます言葉が遅れるのではないか、という声を未だに聞きます。
私も自分の両親から言われたことがありますし、私自身もそう思っていた時期もありました。
実際シロもまだ話せないのであまり説得力はないのですが、補助具で言葉が遅れることはありません。
もしこれを読んでくださっている方の中に、お子さんの言葉が遅くて悩んでいる方がいらっしゃるなら。
発語にこだわりすぎて、コミュニケーションの芽を摘まないようにしてください。
言葉以外の方法で伝えようとしてくれているのなら全身で全力でそれを聞いて、そして伝えようとしたことを褒めてください。
伝えられること、コミュニケーションの喜びを知ることが出来ますように。
そしたら例え言葉がなかなか出なくても、もしかしたら「お喋り」な子になるかも知れません。
言葉の遅い子が皆無口とは限らないですから。
発達どうこう関係なくお喋りな性格の子や無口な性格の子、いろいろです。
ちなみにシロはとても「お喋り」です。
気分が乗ってると怒涛の勢いでコミュニケーションを取ってきます。
それゆえに、ツールを自分でいろいろ開拓したのかもしれません。
いつか言葉と言葉で会話が出来たら嬉しいけれど、もしずっと話すことが出来なかったとしても何というか、それはそれなんだろうなあと思います。
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さて、長くなりましたがコミュニケーションツールの話はこれでおしまいです。
お付き合いくださりありがとうございました。
コミュニケーションツール②知育玩具
コミュニケーションツール、続いては知育玩具です。
きっかけは昨年の秋、三歳の誕生日。
プレゼントに何がほしいかわからなかったので、一緒におもちゃ屋に行って好きなものを選んでもらいました。
そのときに選んだのが、これ。
ボタンを押したらそこに描かれてる絵の名前を言う、まあよくあるやつです。
元々音楽が大好きで音の鳴る絵本も大好き、おやおやこれはボタンを押したら喋ったり歌ったりするぞ。電車や車の絵もあるし。面白そうじゃん。
私の勝手な予想ですが、恐らくシロはこんな感じだったのではないかと思います。
購入後しばらくは色々ボタンを押して楽しんでるだけだったのですが、段々使い方をマスターしていきます。
例えば機能の中に簡単な質問ゲームみたいなのがあるんですね。
「君のすきなたべもののボタンを押してねー」とか
「ひこうきはどこかなー?」とか。
最初はよく意味がわかってない様子だったのですが、徐々に質問にも答えられるようになっていきました。
大体毎回同じ答えなのですが。
(余談。「すきなどうぶつはどれかな」と聞かれるとシロは見たこともないのに毎回ブタのボタンを押していたのですが、最近本物のブタを初めて見たシロは恐怖で逃げ出しました。ミニブタだったのに・・・。)
そして更にしばらく後、シロはこれを伝達手段として用いるようになりました。
小腹がすいたら「プリン(が食べたい)」
お弁当を作れば「トマト(を入れて)」
お出かけのときは「電車(に乗りたい)」
着替えのときは「赤(の服がいい)」
などなど。
語彙もどんどん増えていきました。
そして去年のクリスマス。
私たちはシロとも話した上で、もうひとつの知育玩具を購入しました。
載ってる単語数も先のものとは桁違いです。
が、さすがに三歳児には難しい単語もあります。それに、分厚くて重い。
一応小学校高学年まで使えると書いてあるので、仮に今使わなかったとしてもそのうち役に立つだろう。
まあぼちぼちと言葉を覚えてくれたら嬉しいなーという気持ちでした。
ところが。
シロは前のよりもはるかにドはまりしました。
毎日毎日様々な単語をタッチペンで音声確認。
タッチペンの電池が一週間もたないほどでした。
前のたまひよで土台がある程度出来てた事もあったのでしょうか、シロの語彙は爆発的に増えました。
知らない単語は目で訴えかけてくるので、そのたびに意味を教えました。
実物が家にないものは教えるのが難しいですが(ロバとか・・・)
遊び要素もたくさんあるので(クイズや歌など)触ってる時間だけで言えばおもちゃの中ではこれが一番長いと思います。
おもちゃ七割コミュツール三割と言ったところでしょうか。
でもこの三割が大いに役立っています。
そして息子自身も、最近覚えた単語を口にしようと努力する姿が見られるようになりました。
知育玩具の長所は何といっても伝わりやすい。短所は重い、かさばる、落としたら壊れる、要するに外出には向かない。
といったところでしょうか。
ただこれは誰に教えてもらったのでもなくシロが自分の意思で始めた手段なので、療育的な面で正しいのかはわかりません。
まあこんな方法を使ってる子もいるよ、って感じで。